アンニュイな日だって大丈夫♡
なかなか
引っ張られるなぁ…っていう
『アンニュイな日』だって、大丈夫☺♡
蝶々になる前の
サナギの中みたいに
まだ形に見えないけど
形のない色んな日々が
形のない色んなエネルギーが
つぎのわたし を 作ってる
もし 不安に 取り込まれそうになったら
まだ 起こっていない未来ではなく
いま 起こっている現状だけ見てみて
冷静に対応できることをする
考えすぎさんは、
それ以外は
寝てていいぐらいだよ( ᵕ̈ )
わたしも「考えすぎさん」
だから そうしてます。
考えすぎさんは、
取り越し苦労が非常に多い
どうやって
リラックスしたらいいか
わかんないんだよね(笑)
でも 落ち着いてみれば
「出来ること 以外 出来ない」
わけで…
「出来ること したら あとはすることない」
よねᯅ̈
それに
気づいたら(´-ι_-`)ふっと、
力が抜ける(笑)
その 力 が抜けたとき、はじめて、
楽観的な未来が見えてくる。
それだけでなく、実際に
「大丈夫」に気づく。
次に取る行動も変わる。
信頼のうえで動くから、
行動するにしろ、寝るにしろ、
とにかく気分いい。
不安に取り込まれたとき、
不安に取り込まれたままの行動は
よしたほうがいい。
不安に取り込まれたままの選択は
次に呼び込む未来も不安に取り込まれたままの
自分だ。大丈夫の信頼がない。
大変なことになる! ということではなく、
不安になってはいけない!ということでもなく、
ポイントは
「取り込まれた状態」でないかどうかだ。
何かにチャレンジするとき
少しの不安や、少しの疑いは、あって当然だ。
それによる、リスク回避の対策や
準備する努力や、慎重であることのメリットも
あるぐらいだと思う。
ただ、少しの不安ではなく、
不安に取り込まれてしまっている状態となると
話は違う。
これは「不安」だけの話ではなく
感情に取り込まれている状態では
冷静な状態ではない。
わたしは「感情」ではない。
「感情」は「感情」である。
本来「感情」によって
左右される存在ではない。
「感情」はボスではない。
「感情」は「感情」である。
うれしい・たのしい・かなしい・こわい
「感情」は 生を
彩り豊かに楽しませてくれる
素晴らしい相棒だが、ボスではない。
ボスは 「わたし」だ。
「わたし」とは 存在だ。
魂は いつも クールだ。
落ち着いている。
そのことを、知っている人の
人生の楽しみ方は
「感情」を感じないのではない
「感情」を楽しみ、大切な相棒であり、友として
受け入れ、遊ぶように暮らす
ときに、アンニュイな気分とも
ときに、かなしい気分とも
ときに、おそろしい気分とも
友達だ。
でも 取り込まれていない
「わたし」が中心部分にいつもいるのだ。
OSHOの言葉を借りるなら
「覚者だけが その世界を 楽しむ」
生き方を選ぶのは
「わたし」( ᵕ̈ )
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